以前、場面緘黙症の人々に対する周りの人のサポートについて触れました。
この記事ではどのように場面緘黙症と向き合って対応するべきなのか、ということを私なりにまとめたわけですが、最近他の視点から考えた時に気付いたことがあったのです。
サポートしている人の心のケアが必要
私が気付いたこと、それは
「サポートされている方々の心のケア」です。
私自身が、場面緘黙症を患っていた当事者のため「周りでサポートしてくれている人にどのようなケアが必要」か、というところまで頭が回っていませんでした。
これもたくさんの方々からコメントを頂いたからこそ気付けたのですが、
総合的にこういったコメントを頂くことが多かったのです。
「(職場で働いている子、学校の友達や生徒、家族)が家では話せるのに外に出ると話せないのです。
~詳細説明~
何が正解でどうすればその子のためになるのかわからず壁にぶち当たっています。
出来る限りのことは尽くしているつもりですが、私たちの対応が不十分なのかもしれないと自暴自棄にも陥ってしまいます。」
と、自分を追い詰めてしまっている方がたくさんいらっしゃったのです。
思いやりのある方に共通していることだと感じました。
これを受けて、私は声を大にして言わせて頂きます。
自分を責めないでーーー!!!
なぜなら、本当に自分のことを思って対応してくれているんだな・・・ということはきちんと本人に伝わっています。
そして何より、周りの人が責任を感じることではありません。
周りの人がサポートしてくれているとわかっていても、すぐに変われないということは、本人が一番わかっているので、周りの方が自分のことで責任を感じていると知ったなら、本人はもっと責任を感じて負のループに陥ってしまいます。
参考になるかわかりませんが、ここで思い出した母とのエピソードをご紹介します。
思い返せば大事だった母とのやりとり
私が小学生の頃、母と家では普通に話せていたのですが、
話せる相手ということだけあって、思ってもないことを言ってしまったり、傷つけるような発言で怒鳴らせたり泣かせてしまうことがありました。
心の中で、あっちゃ~!!やってもた。こんなこと微塵も思ってないのに・・・。
と思ってモヤモヤしていると、
次の日の朝、テーブルに手紙が置いてありました。
正確には覚えていませんがその中身は、
という内容だったような・・・。
喧嘩した翌日にはよく手紙が置いてありました。
これを読んだ私はさらに罪悪感を感じるわけですが、笑
同時に母の愛情をも受け取っていました。
それでも、私は頑固な性格で子どもの頃は相当ふてぶてしかったので、
(写真を撮られる時、【なんで面白くもないのに笑わなあかんねん】と思うあまり、ほとんどの子どもの頃の写真が無表情というふてぶてしさ)
精一杯伝えられたとしても「ごめん」の一言しか言えません。
なんと可愛げのない;;
心の中では、「いつも支えてくれているのにひどいことを言ってしまってごめん。そんなこと本当は微塵も思ってなくて、口からでまかせをいってしまったのが傷つけてしまって、本当に申し訳ないと思ってる。いつも変わらない愛情を注いでくれてありがとう」
くらい思っていても、そんな素直にはなれません。笑
だけど、しっかり母の思いは伝わってるし、反省もしているのです。
「ありがとう」のすごさ
子どもの頃を思い出すと、本当に素直な人間は得だ!と感じるようになりました。
大人になって素直になることの重大さに気付いてからは、なるべく感謝の気持ちを素直に伝えられるよう、徐々に生活の中に「ありがとう」の言葉を組み込んでいきました。
本当に「ありがとう」ってスーパーワード。
これを伝えるのと、伝えなかった後じゃ、受け取った人の態度が全然違います。
ちょっと嫌なやつ!って思われていたとしても、「ありがとう」と言っただけで、
「まぁ許したってもええか」
と思わせる力があるのです。
だから、「ありがとう」は誰に何回言っても損はないなとつくづく感じております。
・・・話が逸れてしまった。
何が言いたいかと言いますと、、、
まとめ
本人が言葉足らずで何を考えているかわからなくても、心から感謝しているということです。
だから、あなたがちゃんとサポート出来ていないと思う必要はありません。
教育の仕方がどうのこうのとかは、正直あまり関係していないと感じます。
私としては、周りのサポートももちろんあってこそですが、最終的には本人の意志が一番大事だと思っているので、周りが自分を責めてまで悩む必要はありません。
何かをしてあげたいと思えることは素敵なことで、きっと支えになっていることは間違いないと思いますが、
自分を責めるまで悩まないでくださいね。
最後に、
やっぱり「伝える」ということはとても大事で、
とくに愛情や「あなたは私にとって、とても大切な存在」だということを、普段からわかってもらっていれば、その力がいつの日か克服の大きな糧になるかもしれません。
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